Concert

2014年6月アーカイブ

少しずつ前のレパートリーを取り出して弾きなおしている。

昔の印象と違う様相を持ってくる。曲の深み。

面白いことだ。

更にこの作業を続けたい。秋からは別のレパートリーに挑戦していく。

見直す作業はあったものを再認識していく、その上に新しい歩をすすめるための足固めのステップだ。

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雑記

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幼い頃夢はピアニストとパイロットだった。 

大学二年のとき、同じ学年の女子二人とアパートをシェアした。 

年金生活の大家が一階に住む、貸し部屋だった。大家は一人暮しの女性で昔横の調布飛行場のオペレーターをやっていた。 

私の部屋からは飛行場が一望のもとだった。ほとんど民間には使用されていなかったと思う。 
時折 爆裂音ともいえる離陸の音とともに目が覚めた。いくら好きでも誰も耐えられないほどひどい騒音だった。 
  
そんな風景と音の中で揺れる大学二年を過ごし、三人ともその家を翌年去った。 

一人になりまた別のアパートへ引っ越したがそこになじまないまま四年を迎え、卒業。 CAM00553.jpg
一番印象に残った飛行場脇の貸し部屋。 

徒歩でずっと行くと多摩墓地駅というひなびた私鉄の駅へつく。そのすぐそばに銭湯。 

考えると都会に生まれ育った自分の環境から、程遠い雰囲気であった。 

深大寺も遠くなかったが、まるで村のような空気があったし、調布飛行場はアメリカ軍が確かに存在した空気をまだ匂わせていた。 

大学の教会へいたる入り口の道を皆は「滑走路」と呼んでいた。ここも中島飛行機という工場だった。 
飛行機に因縁。 

私の飛行機への憧れはとっくになくなったが、今住む街は小さいくせにヨーロッパ各国やロシア、アフリカまで飛ぶ国際空港がある。 

日本へも行けばいいのに。と笑ってこぼした私だったが。 

格安航空の機体といっても立派なものだ。近くなので車で見に行ったり、みやげ物店を覗いたり、パイロット養成のクラブを覗いたこともある。 

飛行機に乗るのはおっくうになった。 

でもあの爆音とともに、始まったことがある。 
音への欲求だ。あの当時ジャズがいつも生活にあった。 
寝ても覚めても、大学の講義よりジャズが自分の中心を占めていた時間。 


パリ二十区のバルボット浅井デュオコンサート、あと一ヶ月後になりました。 

好きなピアノでクラシックとジャズを両方楽しみましょうという欲張りな企画。ひょんなことでスタートしました。 

自分は両方の音楽が大好きです。 
浅井さんもしかり。 

経歴も何だか共通項があります。 

彼は同志社大学卒業後、MBAを取得、IBMで勤務。上司がとある機会に彼のピアノを聴いて「おい何故ピアノを職にしないのだ」と尋ねたそう。 
彼もだんだんとその気持ちが固まり、仕事を続けながらバークレー音大へ通いジャズを専攻。 

その後今の彼があります。NYを基盤としてジャズトリオ、プロデュース、ディレクター、ソロ、いろんな音楽活動を精力的に行っています。 

私もとある東京の大学を卒業後、仕事をしながらピアノをあちこちで週末弾くような生活をしていました。 
BA2_Fr_210mm_105mm_1000.jpgあるときパリの高等音楽院へ留学して後パリ市の音楽院で教鞭をとっていた先生に、東京で知り合いました。 

それ以後彼女に師事し、パリ留学が実現しました。 
その後はご存知の通りです。 

自分はパリへ来るとは思ってもいなかったし、その後フランスに在住する事も全く夢にもみていませんでした。 
音楽と共にずっといましたが、派遣社員をしていたこともあります。大中企業をあちこち知ることになり、その中の自分とは、とずっと問い続けていました。 

今はそのときの経験、きっと役立っていると思います。