Concert

2013年8月アーカイブ

コンサートのご感想です。

 


灼熱の渋谷を抜けて仏蘭西へ

昨日は渋谷まで出向いた。茹だるような暑さに加えて、この街の喧騒は初老の身には耐え難い。なるべく表通りを避け、裏の抜け道を通って松濤方面へ。十五分ほどの道のりがなんと遠く感じられたことか。

この界隈にある小さなピアノ・サロンで夕方から演奏会が催される。フランス在住のピアニスト、バルボット成江さんが毎夏催す「里帰り」リサイタル。今年で十回目を数えるというが、新参者の小生は昨年に続いて二度目である。成江さんは往年の名指揮者ポール・パレーのご遺族と知り合い、その誼みから彼の作曲した珍しいピアノ曲の蘇演にも意欲を示している。小生はそれを聴きたくて前回のリサイタルに足を運んだのであった(当日のレヴュー「ピアノで聴くポール・パレー」)。

Masaé Gimbayashi-Barbotte Piano Recital
バルボット成江 ピアノ リサイタル (東京10回記念演奏会)
8
4 17時~
東京・松濤、タカギクラヴィア松濤サロン

曲目/
ショパン 円舞曲 第九番「告別」 作品69-1
サティ グノシエンヌ 第一~第五番
プーランク 即興曲 第十五番「エディット・ピアフ讃」
ミシェル・ボスク Michel Bosc 最初のキリスト教徒たち 作品225
==休憩==
ニコス・ハリザノス Nickos Harizanos モノグラフ I 作品125
 お伽噺~自画像~思考~郭公~行進~ユモレスク~流れる雲
ポール・パレー 海辺にて(海上で) Sur la mer
ドビュッシー 
水に映る影 ~映像 第一集
金色の魚 ~映像 第二集
(アンコール)
グレインジャー アイルランド、デリー州の調べ(ダニー・ボーイ)

冒頭のショパンが始まった途端、あ、この響きだ、と一年前を思い出す。明らかにフランス風の透明な音の連なりなのだが、成江さんのピアノには温和な優しさがいつも寄り添う。その特質は次のサティにも引き継がれ、いつもの皮肉屋の冷ややかな諧謔は影を潜めている。それが彼女の流儀なのだ。上質なシャンソンのような情緒と人間味を帯びたプーランクの即興曲は、だからこの人にぴったりの音楽だと思う(彼女のレパートリーにプーランクがこれ一曲とは残念だ)。
続くミシェル・ボスクは1963年パリ生まれ。八曲の交響曲、オラトリオ、ミサ曲など数多くの作品があるというが寡聞にして知らない。この「最初のキリスト教徒たち Premiers chrétiens」は三部からなる十数分の曲だが、静謐で旋法的な響きがサティとグレゴリオ聖歌の双方を思わせる。標題の意味するところは判らないが、凛と美しい音楽だ。被献呈者である成江さんの演奏は最後まで緊張感が持続し、揺るぎない自信を感じさせる──と、ここまでが第一部。十五分の休憩が入る。

居心地のいい小さな会場は満席とまではいかぬが、三十人ほどの聴衆で大半は埋まった。多くは奏者と親しい顔見知り同士なのだろう、あちこちで旧交を温める会話が聞こえてくる。リラックスした雰囲気。
後半の第一曲は1969年アテネ生まれのハリザノスの新作。これも成江さんを念頭に作曲され、彼女に献呈されたもので神戸で日本初演されたばかり。この作曲家の楽曲は前回も取り上げられたが、今回のは七つの小品からなる組曲の趣、童心をそそる個々のタイトルはちょっとドビュッシーの「子供の領分」を思わせる。全体としての纏まりはむしろ希薄で、各曲ごとの変化・対照を愉しむ音楽といったところか。技術的な難度は低いので、あるいは年少の演奏者を想定したのだろうか。九月には彼女によるパリ初演が予定されている由。
そのあとはお目当てのポール・パレー。六分ほどの小品だが、恐らく日本初演だろう。標題の Sur la mer は「海上」「海辺」どちらともとれる。1910年(あるいは09年)故郷の港町ル・トレポールでの創作というから、まだパリ音楽院に在学中の作品である(翌11年ローマ大賞を得て留学を果たす)。海に因んだ音楽なのでドビュッシーばりの激越なダイナミズムを期待すると些か拍子抜け。穏やかな波を思わす三拍子の主題が連綿と奏される平明なワルツである。半音階の響きが印象主義的と云えなくもないが、ドビュッシーを意識した形跡は殆どない。
引き続いて、そのドビュッシーが二曲、どちらも水に因んだ曲が奏されると、音楽の格がまるで違っていて、ちょっとパレー青年は立つ瀬がない感じ。変幻自在な和声、繊細で玄妙な響き、微に入り細を穿つ描写、構想の大きさ、すべてにおいてドビュッシーは圧倒的なのだ。成江さんの演奏も興に乗ってことのほか素晴らしい。昨夏の「沈める寺」「オンディーヌ」を上回る名演ではなかろうか。

思うにバルボット成江さんのレパートリーはバロックから現代まで幅広いが、反面きわめて限定的。その時点で納得できる作品のみ厳選して演奏する。その意味では彼女はとても慎重なピアニストなのだが、それだけに成果には満足がいく。当たり前のようだが、この態度こそ貴重なのだ。・・・そんな由無し事を愚考していたら、いきなりグレインジャーが奏されたので意表を突かれた。なんと嬉しいアンコールだろう。誰もが口ずさむ民謡を誰も思いつかぬような精妙な和声で彩った天才的な小品である。これは深々と心に沁みた。かつて大田黒元雄がこの曲を「デリー州の愛蘭民謠調」と訳して紹介してからもう一世紀近い歳月が流れた。

帰りしな、成江さんに彫刻家・高田博厚のエッセイ集『私の音楽ノート』(1973)を進呈した。高田は戦前の1930年代にパリでポール・パレー率いるコロンヌ管弦楽団の定期演奏会に通いつめ、占領下パレーがナチスのユダヤ人排斥に抗して常任のポストを擲つ場にも居合わせた(気骨と一徹の人、ポール・パレー)。「機会があったらご遺族にぜひ伝えて下さい。当時、パレーの勇気に心震わせた日本人がいたことを」と言伝てして。

沼辺信一様

 

とっても良かったです。中でも気に入ったのは、ポール・パレーの「Sur la mer」。水音が聞こえてきて、波や水の流れを感じました。ピアノでこんな表現ができるんだなぁ・・・。成江さんのテクニックが素晴らしく、鍵盤の上を指が滑らかに、それでいて力強く、縦横無尽に動いて曲を紡いでいく、って感じでしたね。楽しませてもらいました。どうもありがとうございました。また、来年を楽しみに待っています

N.M

 

 

今回は日本で初演になる曲、作曲家から演奏家を指名して曲を進呈されることは演奏家としては大変光栄なこと、バルボット マサエさんは日本からも海外の作曲家からも指名されて進呈された曲が何曲かあります。 

ラベル、ドビュッシー、プーランク、エリック・サティーなど、19世紀後半~20世紀初頭の古典をフランスのエスプリを盛り込んだフランス印象派の作曲家群の作品も得意とするので、演奏会はとてもフレンチな空気が漂います。 今回もすばらしいコンサートでした。 

今回、弾いてくれた曲の中から ドビュッシーの「金色の魚」 金魚のこと。 金魚が泳いでいることを想像しながら聴くのは夏にぴったりですね。 
http://youtu.be/14KErL8gtC8 

S,K

 

時には静かに柔らかく...、そして時には激しく情熱的に叩かれ続ける鍵盤とサウンドとのリズムたるや、まるで波乱万丈の人生劇場そのものでございます。 

HS

今年も神戸の御影でバルボットさんのドビュッシーを聞くことができました。 
今年のピアノは彼女との相性も良く、硬軟織り交ぜたとても素敵な世界を感じさせていただきました。 

やはり「水の反映」が好きです。 
穏やかな流れだけじゃなく、勢いよく岩にぶつかり砕ける水しぶきの力強さが目の前に広がります。 
キラキラキラキラ

あぁ  いいなぁ     至福の時間です。 

K.I

2013年8月4日、渋谷のタカギクラヴィア松濤サロンで行われたバルボット銀林成江(ぎんばやしまさえ)さんのピアノリサイタルに家族で行ってきました。成江さんは私の大学時代の友人で、卒業後渡仏、結婚し現在ボーヴェという町を中心に演奏活動と教育活動に携わっているピアニストです。

会場の松濤サロンは、とても小さなホールでアットホームな雰囲気。最後方には日本のご家族かと思われる方が心配げな誇らしげなお顔で座られていました。前から2~3列目に着席しましたが、手を伸ばせば届くのではないかと思われるほどの位置にピアノが置かれ、演奏者の息遣い、表情がとても近くに感じられました。

この日のプログラムはショパン、サティ、プーランク、ハリザノス、パレー、ドビュッシー。(第一部の曲で一部不明)ハリザノス、パレーは名前を初めてきく作曲家でしたし、サティ、プーランクにしても良く知っていますとは言えません。では、このリサイタル全体を通して私は何が楽しく、何を書こうとしているのでしょうか。

そもそも、クラシック音楽を聴くときに、独墺系の曲を楽しむことが多いようです。モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブラームス等々。私のCDコレクションもやはり独墺の作曲者が多い。そして、その楽しみ方の中心となるのが、心に残るメロディーであったり、美しいハーモニーの響きであったりします。そのメロディーとハーモニーを味わい胸に貯めながら、私たちは作曲家の想定した一定のゴールを目指して時間を過ごしているのが独墺系音楽家の曲ではないか、というのが私の認識です。

これに対して、この日の成江さんのレパートリーはフランス系の音楽が中心でした。一つ一つの音を丁寧に紡いでいる印象が残ります。そこで際立つのは、メロディーやハーモニーというよりは、音そのものであったように思い出します。一つ一つがくっきりと粒立ちながら暖かな衣をまとったような音が小さなサロンに満ちていきました。彼女のこの演奏を支えるのが、この小さな会場の選択であったり、そこで丁寧に準備されたに違いないスタインウェイであったりしたのかもしれません。

私はささやかですが写真撮影を楽しみとします。ある日睡蓮鉢のメダカを撮ろうとしたところ、水面にいろいろな光が入り込みキラキラしてしまい、目的のメダカを思ったように記録することができませんでした。このことは、私たちの目が極めて恣意的に事物を認識していることを示しますし、光は私たちの意識を超えたところで目に飛び込んでくるものだということを教えてくれます。

成江さんの演奏は、この光を思い出させるものでした。聴き手の恣意を排し、そのままの姿で聴き手の耳に音を届ける音楽。音がキラキラと輝き、音そのものを楽しむ楽しみ方、というような音楽体験。そして、私が再認識したのは、CDでは味わいきれないそうした音楽のあり様でした。もちろんライブとCDの違いは分かっているつもりですが、音そのもののきらめきを楽しむにはライブが必須なのだな、ということ。大雑把にいうならば、独墺系のストーリー展開を持つ音楽ならばCDによる楽しみ方も十分に可能だけれども、仏系の音楽にはライブがはるかに望ましい、といえるでしょうか。

さらに驚いたのが、パレーの曲からドビュッシーに移ったときの音楽空間の密度の濃さとでもいうものが一変したと感じたときでした。(パレーさん、ごめんなさい)

もう20年前になりますが、オックスフォードに語学研修で3週間滞在しました。研修の合間に街をそぞろ歩き、毎晩のように大学の教会やホールで行われる演劇やコンサートを楽しんだものでした。ある晩、クライストチャーチだったと記憶しますが、バロック音楽のコンサートに出会い、ホーッと聞いていて、最後にビバルディの曲が演奏されました。

、、、それはそれは華やかな、煌びやかな、内実のギュッと詰まった音楽でした。コンサートのそれまでの曲にも十分満足していたのですが、ビバルディを聴いてしまうと、それまでの演奏がもうどうにも色あせてみえてしまい仕方ないのでした。歴史上に名の残る大天才とはこういうものか!

それが、この日再現。ドビュッシーに移った途端の変容!音の煌めき、密度が違う。メロディーが、ハーモニーが違う!大天才の音楽を堪能することができました。

いろいろな思いが頭を巡り、心ゆくまで楽しむことのできた1時間半のリサイタルでした。帰り、息子はやや理解不能だったり、戸惑ったりの表情を隠しませんでした。この楽しみを実感するのには、もう少しいろいろな回り道が必要なのだろうと思います。その時までにまた幾つものコンサートに行くことにしましょう。成江さんはこの次いつ日本での演奏会があるのでしょう。日頃仕事に追われこうした楽しみを忘れがちになります。またお会いできるのを楽しみにしています。

 

MS 


お蔭様で大変よい雰囲気の演奏会になりました。ありがとうございます。968845_504369862975447_1764953245_n.jpg

お越し頂いた皆様大変暑いところをお運び頂き本当にありがとうございました。

次回も精進してまいります、またお越し下さいね!
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